「供養」の際に重要なのは人間が死んだ試しはないという「死はない」という絶対的な確信

そのうち私の妻にすぐれた霊媒的能力があることがわかり、複数のスピリットに代わるがわる支配されるようになった。最初妻は、死者が自分の口を使ってしゃべるということは“死者を安らかな眠りから覚ます”ことにならないかと心配したが、霊団側(のちにマーシーバンドと名のる)は、死後についての人間の認識が嘆かわしいほど間違っており、その心配は無用であると言ってきた。
 彼らが言うには、事実上“死”というものは存在せず、肉眼に映じる世界から映じない世界へ移るだけのことであって、高級霊は、死後に待ちうけるすばらしい可能性について人間を啓発するための交霊の機会を待ち望んでいるというのであった。問題はその“死”つまり、肉体からの解放があまりに簡単で自然であるために、大半の人間はしばらくの間-個人によって長短の差はあるが-その変移に気づかず、霊的知識が欠如しているために、地上の懐かしい場所をうろつきまわっているというのである。
 そうしたスピリットの中には、そのうち人間の磁気性オーラに引きつけられて乗り移り-本人も人間の方もそれを自覚しないことが多い-それが原因となって数知れない災害や悲劇が引き起こされ、病気・不道徳行為・犯罪・精神病等が生じているケースが数多くあるという。スピリットの側はそうとは知らずにいる場合もあるし、悪意からそうしている場合もある。

迷える霊との対話(ハート出版P6~7)
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地上人類の基本的な霊的知識があまりに欠如しているために、
霊界主導で地上に降ろされたのがスピリチュアリズムの霊的知識です。

自分が死んだ時に地縛霊にならない為にも「死んだらどうなるのか?」を生きている内に学んでおいた方がいいと思います。

よくある例としては自分が死んだことに気が付かない地縛霊が地上の懐かしい場所をうろつきまわっている内に、
その霊の親族等の関係者に憑依してしまう場合があるということです。

親族に憑依してしまうケースが多いのは住んでいる場所であるとか物理的にそれだけその霊と近しい関係にあるのが原因の一つであるとも考えられます。

あるいは霊的な学びは家族親族といった草の根から始まる必要性があって神がそのような機会を作っているとも考えられます。

親族の憑依霊が多いことが昔からよく観察されてきた結果として
「成仏出来ないご先祖様が頼ってきている」「だから先祖供養しないといけない」という説が出てきたのかも知れません。

血縁親族に限定した先祖供養を特に強調するつもりはありませんが、
いずれにしても地縛霊を救済するための(善霊を支援するための)「供養(愛の祈り)」というのは大切であると思います。
それは個人や親族においてだけでなく、広く社会においても必要であると思っています。

また供養の際に重要なのは人間が死んだ試しはないという「死はない」という絶対的な確信です。

生命とは神の生命であってこの世にもあの世にも唯一「神の生命」しかないのであるから
もはや恐怖するべき材料がもう何一つとして存在しないのであって、ゆえに恐れるものは何もないという絶対的な確信です。

こうした絶対的な確信で愛を祈ると祈りにより霊力がこもると思います。

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