上手な法話とは?

落語の起源はお寺などでの人々への法話だったと聞いたことがありますが、
法話が上手なお坊さんの話の特徴は話そのものが「面白い」というところだと思います。

日常の身近な話題を用いながら、話がおもしろ可笑しく進行していきます。

当然聞いている方も話の面白さに引き込まれて、楽しみながらその法話を聞くことが出来ます。

法話が上手なお坊さんは、そんな面白い話を進めながら要所要所で仏法の教えのポイントを話の中で入れていきます。

そうすることでその法話を聞く人は、面白い話を聞きながら楽しみつつ仏教の勉強をすることが出来るわけです。

しかし、一方であまり法話が上手くないお坊さんの法話は、やたら難しい難解な用語を振り回したりして聞いていて眠くなるだけで心に少しも入ってくるものがありません。

つまり下手な法話というのは、その内容が無味乾燥で面白くないことを意味します。

法話というと仏教のイメージが強いですが、
要は霊的真理を伝える為の話と捉えることが出来ると思います。

霊的真理をどのように伝えるか

なるべく身近で日常的な具体例を使いながら
おもしろい話、興味深い話の中に霊的真理のポイントを入れていくと良いと思います。

聞いている人も聞きやすし理解も促進されると思います。

間違っても難しい話の内容をそのまま難しく伝えてはいけないと思います。

法話が下手な人というのは難しい仏教の概念をそのまま難しく伝えてしまったりして、聞いている人は「難しい」という印象しか残らず、ただ眠くなるだけになるのだと思います。

難しい内容を難しく伝えるというのは、例えて言うと数学の公式をそのまま公式だけを伝えているということになると思います。

「公式Aは公式Aです」「公式Bは公式Bです」とただ羅列しているだけで、やたら上から目線で「理解できないのはあなた方がバカだからだ、勉強不足だからだ」と言わんばかりです。

難しい内容をそのまま難しく伝える人は、実は話が下手なのではなく
その難しい内容を本当は理解できていないことを意味します。

内容で理解しているのではなく「言葉という形式」で丸呑みしているものと思われます。

話の内容が理解の難しい霊的な事柄であっても、それを解りやすく噛み砕いて、一般の人にも受け入れやすいように日常の身近な具体例を用いて伝える努力が必要なのだと思います。

それは本当にその霊的真理を理解出来ていないと出来ないことです。

どれだけ解りやすく伝えるかというのはその霊的真理をどれだけ理解出来ているかを知る指標となるように思います。

霊的なことを否定しているような唯物論的な人にも、心に何か引っかかる「種」を残せるような語り方を考える努力が大事なのだと思います。