不幸とは霊的に理解出来ないこと。理解出来れば不幸は存在しない。

誰か人が亡くなった時に
「お気の毒に」とか
「かわいそうに」とか
「もっと生きたかっただろうに」
なんて言うけど
「そんなもん解らんわい!」
と思ってしまいます。

死んだ人がどう思っているかなんて解りませんわ。
「かわいそう」とか「不幸」とか
勝手に決めつけてんじゃねーよ!と思てまいますわな。

人それぞれに霊的背景は様々ですからね。
地上的価値観でもって軽々には判断は下せんのですわ。

霊となってこの世のことについては
「もうどうでもええわ~。」と無関心になっている人に
「かわいそう」と思うのはどういうことやねんと。

例えば殺された人は殺した人を恨んでいるかというと
必ずしもそうとは限りませんよ。

自分が殺されて死んでいることに
気が付いていない者もいれば
むしろ逆に殺した者に感謝しているケースもある。

殺した者に対して
「ありがとう。あなたのおかげて私の魂の穢れが
浄化されました。」
なんて思っている霊もいるわけでね。

要はその霊の霊的理解力が
立ち上がっているかどうかによって
その霊の幸不幸が決まるわけです。

霊的に理解が出来ているのか出来ていないのか。
「解ってるか解ってないか」ですわ。

いわゆる「不幸」な状態というのは
霊的理解力が立ち上がらず
霊的に無知蒙昧の状態のことと
定義出来ますね。

霊的に理解することが出来るのなら
この世にもあの世にも何一つとして
「不幸」なんてありませんわな。

「不幸」も「気の毒な事」も存在しない。
もしあるとするならただそこに
霊的に理解出来ない状態が
あるというだけですわ。

「不幸」というのはそもそも存在しないわけですが
それが理解出来ないことこそが真に「不幸」なことと
言わざるを得んわけです。