他人のカルマは我がカルマ

霊的な世界では自他の区別がなく、他人がいないわけですが
このことは即ち「全てのカルマは私のカルマである」ということを意味します。

「自分のカルマは自分が刈り取る。」

という霊的真理は即ち

「他人のカルマは自分のカルマでもある」

という意味です。

「他人のカルマ」と表現しましたが

この場合「他人=自分」ですので

「他人のカルマ=自分のカルマ」と同じ意味です。

「自分のカルマは自分が刈り取る。」←の「自分」には一般的に言うところの「他人」も入っているというところが本質的だと思います。

「類魂」という「学び」の要点は
全人類のカルマはまさに自分自身のカルマであることを理解して
霊的一体感を大きく育むところにあるように思います。

その「覚悟」を促し、愛を大きく深めるところにあるように思います。

「どんなに霊性の未熟な者であっても、
犯罪者であろうが殺人者であろうが、
(あなたがその被害者であっても)
その者は他人ではない。
それはまさにあなた(自分)自身なのだ。」と。

一般的に言うところの「他人」は言わば「自分の一種」であって

自分と他人が分離して存在しているのではなく

他人の存在はまさに「自分そのもの」でもあるのです。

ですので他人を憎んだり攻撃したり否定するということは

「他人(=自分)」の本当の「主」である「大霊(神)」を否定するということと同じ意味であって、

実は構造的に不可能なことをしているわけです。

「他人はいない」ということは即ち
「大霊(神)だけがいる」というのと同じ意味です。

存在しているのは「他人」ではなく「大霊(神)」であって
言わば「他人」の中に「他の人・別の人」を認めるのではなく、

「他人」の中に「大霊(神)」を見出すことが大切なのだと思います。