低級霊に翻弄されるのも修行のうち

今から15年程、憑依が深刻化していた時期がありました。

低級霊のからかいやイタズラに翻弄されて右往左往していたように思います。

 

メディアが僕に語りかけて僕をおびき寄せようとしていると思いこんでTV局に手紙を書いたり、
文明の利器を使ってはいけないと思って無一文になってドアに鍵もかけず70km程の距離を歩いて帰ろうとしたり、

トイレに流した大小便が必ず返ってくると思いこんでわざわざ近くの公園やコンビニのトイレに用を足しにいったりして色々と支離滅裂な行動をとったものです。

 

しかし今から考えるとこうした経験も魂の成長のプロセスの一つとして
必要な経験だったように思います。

 

低級霊に翻弄されているという意識は翻弄されているその現場では無いわけですが、
言わば低級霊に翻弄されながらも低級霊に翻弄されるというのはどういうことなのかを学んでいたように思います。

また低級霊の関与するイタズラ・遊び相手(?)といった低次元のことではありますが、霊的存在との交流を実体験を通じてその法則性を学んでいたと捉えることも出来ます。

その頃は霊的な存在を感じながらも何がどうなっているのか解らず暗中模索のような状態です。

 

例えると「水」を知らないような人が目隠しされた状態でいきなり海の真ん中へ放り込まれたようなものです。

一体何がどうなっているのか溺れそうになりながらも

頭を打っては修正し、また頭を打っては修正するという過程の中で
徐々に自分の置かれた状況を理解しはじめ、
手探りしながら右往左往する中で
そこに存在する何らかの内的(霊的)な「規則性」に見当をつけていくような感じです。

とても感覚的なことではありますが、僕にとっての霊的な存在との交わりとはどのようなものかを潜在意識と顕在意識の中間くらいの内的な感覚で身体で学んでいたように思います。

霊界からの影響をどのように感じ取るかの学びになっていたように思います。

 

それが結果的に霊的なことを捉える基礎となり
霊的な理解力や考えたりする力となっているようにも思います。

学んでいると言っても憑依が深刻化している当時は
当然「自分は今学んでいるんだ」という意識は無かったわけではありますが。。。

 

憑依で低級霊に翻弄されている状態も決して悪い事ばかりではなく、その中で多くを学び、多くを自分の力にするチャンスとして肯定的に捉えることも出来るように思います。

実を言うと僕自身は今でもまだまだ低級霊的要素の多い人間で、
今も低級霊に翻弄されていると感じることもしばしばです。

 

ただ15年前のように憑依が深刻化する事はもうないと自分では思っていますが
理想としては自分の中の低級霊的要素を克服しながら、

低級霊とともに霊的成長していけたらいいなと思っています。

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