地縛霊が地上の人間に憑依するプロセス。憑依は憑依霊も人間も双方に必要があって発生する。

人体から放射されている磁気性オーラと電気性オーラは、暗闇の中に閉じ込められている地縛霊には灯火のように見える。
自我意識がしっかりしていないために、無意識のうちにそれに近づくのであるが、その際に、灯火と見られている人間が霊的感受性が強いと、そのオーラに引っかかってしまう。
 本来なら拒絶反応(一種の防衛本能)が働いてすぐに離れるのであるが、両者の間に何らかの因縁がある場合には、憑依状態がエスカレートして、スピリットの意識の働きがその人間の脳にまで響くようになる。二重人格と言われているのはそういう状態をさす。
これが一個のスピリットでなく、複数のスピリットが一人の人間のオーラに引っかかっている時が多重人格と言われている症状になる。

「迷える霊との対話P195」
迷える霊(スピリット)との対話―スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年(amazon)

 

「迷える霊との対話」によると地縛霊が地上の人間に憑依するプロセスは次の通りです。

自分が死んだことに気が付かない等、霊的に眠った状態のままでいる地縛霊は「何か変だが…。」と思いつつも地上をウロウロしている。
そんな心理的な暗闇にいる地縛霊にとって地上の人間のオーラは明かりの灯火のように見える。

灯火のように見える人間は、地縛霊の親族や友人等の知っている人の場合もあれば知らない人の場合もある。

「なんか知らんけど、灯?のようにも見える。ちょっとついて行ってみよう…。」

何となくそれに近づいていくうちに、その人が霊的感受性が強い霊媒体質者であるとその磁気性オーラに引っかかって出られなくなってしまう。
この時、地縛霊はどこか狭いところに閉じ込められたような感じがする。

地縛霊も自分に何が起こったかが解らない。
地縛霊が生きた人間に接触すると自分の死に際の断末魔の感覚をもう一度感覚する。

ウィックランド博士はオーラに引っかかるという表現をよく使っています。
ちょっと触れただけで服につく種子(引っつき虫)のようなイメージでしょうか。

人間(霊媒体質者)と地縛霊にはある種の親和性があってお互いに引き寄せあい混じり合うという自然法則があります。

憑依現象は特別なものではなく自然法則として発生します。

ただその憑依が深刻化するかどうかは様々な条件次第となります。

人体がバイキンなどのウイルスに対して拒絶反応が働くように、
人間にも防衛本能があり、通常は拒絶反応が働いて自然に憑依は外れます。

しかし両者の間に何らかの「因縁」がある場合には憑依が深刻化して憑依霊の支配力が増していきます。

健康的な状態でなかったり、精神的なショックで気分が落ち込んでいたりすると拒絶反応が働かず憑依がエスカレートしていきます。
あるいはそんなピタリのタイミングだからこそ「因縁」の力が働いて必然的に憑依が起こると考えた方が良いかもしれません。

「因縁」というのは人間にとっても憑依霊にとっても両方にとっての学ぶべきカルマです。

その人の生き方、地上的価値観への執着、あるいは霊的生命観・霊的理解力の欠如、
そして「愛」の欠如そのものがカルマです。

憑依は決して偶然起こるものではありません。
憑依は必ず憑依される方も憑依霊の方も双方に必要があって発生します。

憑依された人間は一方的な被害者というわけではないし、憑依霊が加害者というわけでもありません。

憑依による苦しみを受ける方はそのことによって自身のカルマを清算し、
霊的に向上するというメリットがあります。

僕の経験でも憑依が深刻化していた時は散々振り回され苦しい思いをしましたが、
今から振り返ると憑依霊を恨む気持ちは全くありません。

むしろ感謝しています。
また憑依霊のほうも僕に感謝しているのを感じます。

憑依は最終的にはお互いに感謝し合うように出来ているのだと思います。

憑依がなかったら「神」を知らずに生きていました。
憑依がなかったら「愛」とは何かが解らなかったと思います。

「迷える霊との対話」ではウィックランド博士の除霊によって霊的実相に目覚めた元憑依霊が
やがて霊的に向上して人の役に立つため自分がかつて憑依していた人間を護るようになるという話が出てきます。

日本の御霊信仰にも共通する内容です。

憑依というインパクトを通じて人間の方も憑依霊の方も、双方が霊的に向上します。

やがてカルマが終わり、憑依も終わる。

そしてかつては未熟だった憑依霊が成長して善霊となり、人を護り、社会を護る。

神は双方に「愛」を学ぶように要請しているのだと思います。

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