悪口は自分で自分を壊してします。悪口を言わないことで得られるスピリチュアルな日常

僕にも僅かながらインスピレーションによる霊的交信と思われる経験があります。

 

今から7年程前になります。

 

地元の寺に参拝した帰り道のことでした。

なんとなく天空から話しかけられたような気がして回りを見渡したのを覚えています。

すごく不思議な感覚でした。

心にポトリと落とされたように届けられた「意味内容」を感じました。

 

それは

「人の悪口を言ってはならぬ」

というものでした。

メッセージたというか、何となく感じた内容はただそれだけです。

本当にただそれだけでした。

 

「人の悪口なんて言ってないけどなあ…」

と思ったのを覚えています。

 

当時は人の悪口に関して特に意識していたわけではありません。

でも特に人の悪口を好んで言っているわけでもなく、

むしろ自分が人から悪く言われても

こちらからは相手の悪口を言わないように意識していたほどです。

 

なので「人の悪口は言っていないけどなあ…」と思ったのです。

 

しかしそれからしばらくして思うようになりました。

当時は確かに人前では人の悪口は言わないようにしていましたが

ひとり言では人の悪口を言っていたのでした。

 

独り言なら他者に迷惑はかからないだろうという思いがあり、言ってもいいのではないかとつい思ってしまいます。

うっ積した思いを独り言で悪口を言うことによってストレスを発散させていたのです。

 

しかし悪口というものはそれを口にするだけで

霊的に良くないことなのだと思いました。

 

「これはいかん。」と思いました。

赤面赤面です。

 

例えひとり言であっても人の悪口を言うことは良くないことなのだと思います。

 

それからしばらくしてまた気づいたことがあります。

それは自分の悪口も言ってはならない、ということです。

 

失敗したり上手くいかないことがあると

「ああ、自分はダメだなあ。自分はダメ人間だ。なんて情けない奴なんだ。」

みたいな感じで落ち込んでしまうことがありますが、これも霊的に良くないのだと思うようになりました。

 

自分を悪く言うことは、謙虚さや反省の表現になる部分もあるので

社交辞令としては良い面もあるのかもしれません。

 

しかし自分の悪口を言いすぎることは霊的に良くないことだと思います。

例え独り言であっても自分(人)の悪口を言ってはならない。という。

 

「人の悪口を言ってはならない」の「人」には自分も含まれます。

 

自分という存在はその身体も個性も神から頂いたものです。

 

いわば自分という存在は神からレンタルしたレンタル品です。

いつかは神にお返ししなければならない借り物なんだと思います。

その借り物に対して、これは粗悪品だとか劣っているとかダメだとか悪口をいうことは

それを与えた神に対し文句をつけていることになるように思います。

 

神が与えたもの、神からレンタルしたものは人それぞれ違います。

人それぞれの霊的背景にふさわしいものが与えられていると思います。

 

神は完璧です。間違うということがありません。

 

自分という存在のその本当の所有者は自分ではなく

神(大霊)なのだと思います。

 

そのことを忘れ自分の悪口を言うことは

摂理違反になるのだと思います。

 

摂理違反の結果どうなるかというと

「苦しみ」がやってくる。というわけです。

 

以上が僕が感得したインスピレーションとそこから学んで考えたことです。

 

「人の悪口を言ってはならない」

という単純な内容ですが

霊的な存在から直接頂いたという意味では

大変ありがたい教訓として生涯大事にしていきたいと思っています。

 

コメント