死の自覚の難しさ。死は存在しないことを死んでから知る必要はない。

死んで間もない人が、自分が死んでいるのかどうか分からない状態になるということは、実に頻繁に観察される。特に、自分の魂を肉体のレヴェル以上に向上させなかった人の場合には顕著である。
 この現象は、一見、奇妙に思われるが、ごく自然に説明できる。
 初めて夢遊症に陥った人に、眠っているかどうか尋ねた場合、必ず「眠っていない」と答えるはずである。この答えは極めて論理的なのだ。非は、不適切な言葉を使って質問した側にある。
 「眠る」という言葉は、一般的な使い方では、あらゆる感覚器官が休息することを意味している。ところが、夢遊症者は、考えられるし、見られるし、感じ取ることもできるのである。したがって、自分が眠っているとは思わないし、実際、言葉の普通の意味においては眠っていないのである。だから、彼は「眠っていない」と答えるのである。
 これは、死んだばかりの人間についても言える。彼にとって、死とは、すべての消滅を意味していた。ところが、夢遊症者と同じく、彼は、見ることも、感じることも、話すこともできるのである。したがって、彼にとっては、それは死を意味していない。だから「死んでいない」と言うわけである。
 それは、彼が、この新たな状態について、しっかり理解するまで続くだろう。
 この状態は、いずれにしても、つらいものである。なぜなら、それは不完全な状態であるために、霊をある種の不安定な状態に投げ込むからである。

アラン・カルデックの霊との対話「天国と地獄」(幸福の科学出版P166~167)
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死後の世界で自分の死をなかなか自覚出来ない人が多いのは、肉体が生きている時のそもそもの「死」のイメージに原因があるように思います。

死とは全ての消滅であるというイメージを持っているとその思い込みが霊的に目隠しの役割をして
そもそも「死は存在しない」ということが上手く呑み込めないものと思われます。

死後の世界においても人は依然と意識はあるし、見ることも話すことも感じることも出来るのでまさか自分が死んでいるとは思わないわけです。

この思い込みがあまりに強すぎると長く死の自覚を持てない地縛霊になってしまいます。

頑固な地縛霊は頑なに自分の死を認めようとしないし、自分が既に地縛霊になっていることを何が何でも否定します。
だから地縛霊なんです。

そもそも「死がある」という感覚は錯覚のようなものでして。
最初のボタンの掛け違えと言いますか。

シャツのボタンをとめる時に一番下のボタンをとめようとする時に最初のボタンの掛け違いに気付くことがありますが、幼い頃に「死」という概念を学んだ時というのが最初のボタンの掛け違えが発生した時だと思います。

そして死後の世界に入った時に「死」が無いことに気付く。
一番下のボタンをとめようとした時の「ありゃ?」という感覚に似ている。

「な~んだ、死はなかったのか」となる。

でもですね。

死がないことに気付くのは一番下のボタンをとめる時まで行かなくてもよくて
ボタンを胸のあたりまでとめた時に「あれ?なんかおかしいな?」と気付くこともあります。

つまり死後の世界まで行かなくても肉体がある今現時点で死は無いことに気付くことは出来ます。

それは新しいことを発見するというよりも「なんだ。ここが間違っていたのか」というように元々の自分の錯覚に気付くということだと思います。

 

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