神が与えるものは人が求めるものに勝る(アフリカ・ブルキナファソの諺)
人はつい不幸や不運が存在していると思ってしまう。
病気や事故事件等が不運にも自分に降りかかってしまったのだ、と考えてしまう。
しかし霊的には不幸・不運は存在しない。
偶然降りかかったかのように思える病気や事故事件等も、神が与えた貴重な宝。
あるいは貴重な宝にするための材料。
「こんな病気にさえならなければ自分はもっと幸せだったのに…。」
「ああ…。早く死にたい。自分はなんて不幸なんだ…。」などと考えてしまう。
人は物的次元の視野に限られているため、神が与えた貴重な宝にするための材料を「不幸」「不運」として解釈してしまう。
物的次元の視野でもって人が求めるようなものは実は霊的にはほとんど価値がない。
神が与えたもの(材料)を神から与えられた宝として覚悟して神に感謝する時、魂が目覚める。
神が与えたもの(材料)を利用して逆に自分の人生を愛に満ちた豊かで力強いものにしてやろうじゃないかと覚悟を決めた時、人は神から与えられた今生の使命を知る。
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