肉体は現時点でも生きてはいない。元々肉体は生きていない。死後の目覚めは生前からでも可能。

地縛霊はそのほとんどが自分の死を自覚していない者たちです。

肉体が死んで霊になると通常はその変化に気付いて霊的理解力が立ち上がってくるものですが、
肉体の死後も何年も何十年も自分の死に気付かないのが地縛霊です。

人間は(肉体が)死んで霊になっても生きている時と同じく身体(霊的身体)はあるし、
意識もそのままですからまさか自分(の肉体)が死んでいるとは到底思えないわけです。

このことは肉体が生きている現時点での僕らの感覚や意識というのが、
肉体の死後もほとんど変わらないことを教えてくれています。

一般的には「肉体が生きていて意識もある」という感覚が自分が生きている証拠だと思っている人がほとんどだと思います。

でもこれが錯覚なんです。

肉体の死後まで待って「自分は死んだんだ」と気づく必要はありません。

ある意味では肉体が生きている現時点で「既に肉体というのは生きていない」ことに気づくことは可能です。

肉体というのは元々生きていない。

では何が生きているのか?というと「霊」が生きているわけです。

霊とは生命のことであり、生命とは霊のことです。

生きているのは「霊」であって肉体という物質ではない。

肉体はそもそも最初から存在していないと言ってもいいのかもしれません。

見えてすらいない。

それは量子論的にも証明されています。物的尺度を突き詰めても同じ答えになるわけです。

肉体が生きているという感覚は幻です。

僕らは肉体がある現時点で既に「霊」であって、
死んでから「霊」になるわけではありません。

はじめに「霊」ありき。なわけです。

「肉体が生きていて意識もある」という「感覚」があるということは、実は

本当は「霊」が生きているということです。

これを地縛霊は「(個人としての)自分が生きている」と受け取ります。
「自分が生きている、自分が、自分が、」の自我の世界で生きている。

「自我」は幻です。

本当に生きているのは「霊」であって、「自我」ではない。。。

「自我」で生きる世界が幻なのは実は死後の世界だけでなく、現時点での地上世界でも変わりません。

では「霊」とは何かというと「何もかも」です。

そもそも「何もかも」が「霊」なのであって、「霊」以外のものは何一つとして存在していません。

肉体が生きていようが死んでいようが「霊」しか存在しないわけです。

「霊」とは「神」と言い換えてもいいです。

「神」しか生きていないので、「神なき世界」で生きる地縛霊は幻の世界で生きるしかないわけです。

霊的理解力を立ち上げるのは実は肉体の死後まで待つ必要はないのです。

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