自殺霊の霊界通信を読む2。憑依における霊的法則を考える。アラン・カルデック霊との対話より

自殺霊の霊界通信を細かく読んでいきます。

黒字は僕の感想です。

全文→自殺霊の霊界通信を読む1。憑依における霊的法則を考える。アラン・カルデック霊との対話より。

-招霊します・・・。
 「私に何をせよというのですか?私を尋問するつもりなのですか?よろしい!結構です、すべてを告白しましょう!」

-ちょっと待ってください。ぶしつけな質問をしてあなたを苦しめようなどと思っているわけではありません。
ただ、現在、霊界においてどのような境涯におられるのかを知りたいと思っているだけなのです。もしかすると、お役に立てるかもしれません。

(感想)ベル霊はアラン・カルデックを指導している霊団に連れてこられて話しなさいと促されたものと思われます。
アラン・カルデック系の霊団は特に再生(カルマの法則)について人類を啓発することが目的であったと言われています。
交霊は様々な人々の死後の状況を知ることで霊的教訓を得る目的でなされた側面もあると思います。

「もし、助けて頂けるのでしたら、こんなに有難いことはありません!私は自分の犯した罪が恐ろしいのです。ああ、私はなんてことをしてしまったんだ!」

-私達のお祈りによって、必ず、あなたの苦しみが和らぐものと確信しております。
 それにしても、あなたは、大分良い条件にあるように思われます。悔い改めておられるようですし、回復が始まっているように感じられるからです。
無限の慈悲を持っておられる神は、悔悟を始めた罪人に対して、常に哀れみをかけてくださいます。さあ、一緒に祈りましょう。

(感想)自殺者の霊といっても置かれている状況は様々です。
自殺者の霊の中にはもっと激しい混乱の中にある霊もいますが、この時点のベル霊は悔悟の念に苦しんでいるようです。
カルデックは悔悟の念を「回復の始まり」と見ているのが解ります。
また祈りには「力」があって苦しんでいる地縛霊(未成仏霊)にとって相当な威力があることが解ります。

「・・・・・」

-さて、どのような罪を犯したと思っていらっしゃるのですか?謹んで罪を告白なされば、神はそれを斟酌してくださいますよ。

 「それよりもまず、私の心の中に希望の光を入れてくださったことに、感謝しなければなりません。

(感想)祈りは苦しんでいるベル霊にとって「希望の光」として感じられるようです。

ああ、もうはるか昔のことになります。今回の転生の直前に転生した時のことです。私は南フランスの、地中海のすぐそばに立つ家に住んでおりました。
 私はかわいい女の子と付き合っており、彼女は私の愛に応えてくれていました。しかし、私は貧しかったので、彼女の家から疎んじられていたのです。
ある日、彼女は、海外にまで商売の手を広げている、とても羽振りの良い仲買人の息子と結婚することにした、と私に告げました。こうして私はお払い箱になったのです。
 気も狂わんばかりに苦しんだ私は、憎くてたまらぬ競争相手を殺して復讐を果たし、自分も死のう、と決心しました。しかし、暴力的なやり方は嫌でした。
人を殺そうなどと考える自分に戦慄しましたが、嫉妬の念が勝利を収めました。その男は、私が愛していた娘と結婚する日の前日に、私が注意深く盛った毒のせいで死んだのです。
 以上が、かすかな記憶による私の古い過去の再現です。
 ええ、私は既に霊界で大分時間を過ごしましたので、そろそろ地上に転生する時期が来たようです。
 神よ、私の弱さ、そして涙を哀れみたまえ!」

-あなたの進化を遅らせたこの不幸な事件に同情申し上げます。また、あなたを本当に気の毒に存じます。しかし、あなたは悔い改めているのですから、神は哀れみをかけてくださることと思います。
 ところで、あなたは、その時の自殺の決意を実行に移したのですか?
 「いいえ、恥を忍んで言えば、自殺はしませんでした。希望が再び戻ってきたからです。つまり、その娘と結婚出来る可能性が再び生じてきたのです。私は自分の犯罪の結果を密かに享受しようと思いました。
 しかしながら、後悔には勝てず、ついに自首しました。こうして、私は自分の錯乱の瞬間を死刑によって贖ったわけです。私は絞首刑となりました」

(感想)過去生での罪を告白したベル霊。自首をしたというから根っからの悪人でもないようです。
しかし自分が犯した殺人を「自分の錯乱の瞬間」と表現しています。
嫉妬に狂ったゆえの犯行ですが、その嫉妬の念、殺意や復讐心を煽っていた低級霊がいたものと思われます。
どんな犯罪にも低級霊のそそのかしはあるものですが、どうすれば低級霊のそそのかしに動じない自分になれたのか?ベル霊の魂的な課題がそこに凝縮されているように思います。
地上的価値観では絞首刑となって罪は償われたような気もしますが、霊的にはそうでもないようです。

 

-今回の転生においては、その過去世における悪しき行為の記憶はあったのですか?
 「それを意識したのは、最後の数年間だけです。つまり、こういうことだったのです。私はもともと善良な人間で、件の殺人を犯した転生においてもそうでした。
そして、これは、殺人者にはよく見られることですが、犠牲者の最後の姿がしょっちゅう心に蘇ってきてたいへん苦しかったので、私は、何年もの間、悔い改め、そして必死に祈り続けたのです。

(感想)殺人者の霊は自分の犯した殺人の現場の映像を繰り返し見せられて良心が痛み、相当な霊的苦しみを負うという霊的法則があります。
被害者が苦しんで死んでいくのを何度も直視させられ続ける。目を背けようにも目を背けた先にその映像があるといいます。

 さて、その後、私はまた生まれ変わって別の人生を歩み始めました。つまり、それが今回の転生になります。私は、平穏に、しかし、なぜかおどおどして人生を過ごしていました。
生まれつきの自分の弱さと、過去世での過ちを漠然と意識していたのでしょう。潜在意識に記憶があったからです。
 しかし、私が殺した男の父親が、復讐心に満ちた憑依霊となった私にとりつき、私の心の中に、過去世の記憶を走馬灯のように蘇らせることに成功したのです。
 憑依霊の影響を強く受けている時は、私は毒殺をした殺人鬼であり、指導霊の影響が強い時には、私は子供達のために一生懸命パン代を稼ぐ健気な父親でした。しかし、ついに憑依霊に負けて自殺を図りました。
 確かに私には罪があります。でも、自分自身の意志だけで自殺を決行したのではない分だけ罪は軽いのです。
このタイプの自殺者は、憑依霊に抵抗できないという点では弱いといえますが、しかし、完全な自由意志で自殺を決行したわけではない分だけ罪は軽いと言えるのです。
 どうか、私に悪しき影響を与えた霊が早く復讐の念を捨てられるように、私と一緒に祈ってください。そして、私が力とエネルギーを得て、次の転生で、自由意志によって自殺の誘惑に打ち勝つことが出来るように祈ってください。
というのも、次の転生では、私は、再び自殺をしたくなるような状況に置かれることになっているからです」

(感想)低級霊のそそのかしに負けてしまうのは「自分が弱いから」という漠然とした自覚があったベル霊。「弱い自分」を克服することがいかに難しいかが解ります。
興味深いのは殺した被害者の当人ではなく、その父親が復讐心に満ちた憑依霊となっていたところです。
被害者本人は意外にも死後の世界で復讐心を持つことはなかったことも考えられます。殺される人には殺されるだけのカルマがあるからで、本人がそれを悟れば特に復讐しようという意思は起きないものです。
それは被害者の遺族にも言えることと思いますが、肉親といえどもその「命」を自分の所有物のように思ってしまうとカルマの法則は完全完璧に機能していることを悟れずに復讐の鬼になってしまうのだと思います。
「命」はそもそも神のものであって、神がその命をどのように使ったとしても文句は言えないはずですが「命」に「神」を見ることが出来ないと復讐心が収まらずに地縛霊の状態になるものと思われます。

「このタイプの自殺者は、憑依霊に抵抗できないという点では弱いといえますが、しかし、完全な自由意志で自殺を決行したわけではない分だけ罪は軽いと言えるのです」とベル霊が自分のことを客観視して語っています。
おそらくベル霊の背後霊か、もしくはこの霊界通信を担当している霊団のサポートがあってベル霊を補助しながら話をしているものと思われます。
霊界通信にはこうした通信者の霊を補助する霊が色々とサポートしつつ霊的教訓を人類に伝えようとしてくれているのだと思います。

「私が力とエネルギーを得て、次の転生で、自由意志によって自殺の誘惑に打ち勝つことが出来るように祈ってください。
というのも、次の転生では、私は、再び自殺をしたくなるような状況に置かれることになっているからです」

とあります。ベル霊は未来生において自殺したくなるような状況に再び置かれることを知っています。しかし転生すればその記憶が消されるので再度同じ過ちを繰り替えしかねないようです。
だからこそ「祈り」は極めて重要な意味を持つのだと思います。
祈りは現在の霊的状況だけでなく未来の転生においても機能することを示唆しています。
祈りは未来生においてベル霊が「弱い自分」に負けそうになる状況になった時、弱い自分ではない成長した自分を選択出来るように見えない世界からのサポートとなって彼を勇気づけるように思います。
祈りにはそんな「力」があるように思います。

 

-(霊媒の指導霊に対して)憑依霊によって自殺に追い込まれるということが、実際にあり得るのですか?
 「勿論あり得ます。憑依というのも、一種の試練であり、あらゆる形態をとるのです。しかし、そのことは言い訳にはなりません。
人間は常に自由意志を行使できるようになっており、したがって、憑依霊の声に従うことも、それを拒否することも出来るからです。もし、憑依霊のそそのかしに従ったとしたら、それは彼の自由意志によってそうしたと見なされるのです。
 確かに、他の者の教唆によって悪を犯した場合、自分自身の意志のみで悪を犯した場合よりも、その罪は軽いと言えるでしょう。
しかし、まったく罪が無いわけではないのです。正しい道から逸れていったということ自体、彼の中に善が強く根付いていなかったということの証明だからです」

-祈りと悔い改めによって、犠牲者を見続ける苦しみから解放されたこの霊が、次に転生した時、復讐心を持った憑依霊に付きまとわれた、というのはどういうことなのですか?
 「あなたもご存知のように、悔い改めというのは、あくまでも予備的な段階に過ぎず、それによって全ての苦しみから解放されるわけではないのです。
 神は、単なる口先の約束だけでは満足しません。実際の行為によって、善に戻ったということをきちんと証明しなければならないのです。
そのために、この霊は新たなる試練に晒されたのであり、この試練を乗り越えてこそ、より強くなることが出来たわけであり、また、勝利の意味も大きくなるのです。
 彼は憑依霊に付きまとわれましたが、彼が十分に強くなりさえすれば、憑依霊も離れていったはずなのです。憑依霊の言う事に耳を貸さなければ、そそのかしがもう意味を持たなくなるからです」

この最後の二例(一つはフェリシアン氏)によって、「試練は、それを乗り越えることが出来るまで、何度も繰り返し与えられる」ということが分かる。
 アントワーヌ・ベルの例は、さらに、過去世で犯した罪の記憶が、警告として、または悔悟の思いとして、人に付きまとうことがあるという事実を明らかにしている。つまり、全ての転生が関連しているということなのである。
 人間には徐々に向上していく能力があり、過ちを贖う為の門が閉ざされることは決してない、という点に、神の善意と正義が歴然と示されている。
罪を犯した者は、まさにその罪によって罰されるのだが、それは神が復讐を好むからでなく、その人間に最も適切な向上の手段を与えようとされるからなのである。

 

(感想)ベル霊が自殺することで父親の憑依霊は復讐を果たすことになりましたが、このことは実はこの父親の憑依霊にとっては悪しきカルマになってしまったことを意味します。
この憑依霊はこのカルマをどこかできっちりと自分で刈り取らなくてはいけなくなることでしょう。
実はベル霊にとっても父親の憑依霊にとっても今回の顛末は善いものではなかったように思います。
ベル霊が「弱い自分」を克服し、低級霊のそそのかしに負けていなかったら、父親の憑依霊は逆にカルマを背負わずにおれた側面もあります。

自殺は憑依が原因である側面もありますが、例えそうであったとしてもその霊的責任は自分が背負わねばなりません。
憑依があったとしてもそのそそのかしに耳を貸さずに強い自分を保っていかないといけないわけですが、憑依が深刻化してからではもう遅いような気がします。
憑依が深刻化し、その支配力が強まれば悪循環がより一層加速していくものです。
病気と同じで早期発見早期治療がポイントになるようにも思います。
低級霊のそそのかしが普通にあるという前提で普段の日常から少しでもよいから善いことをしたり、悪いそそのかしに(自分で自分に)負けないように心掛けたり、コツコツと長い時間をかけて霊的に鍛え続けて強い自分を作っていく必要があるのだと思います。

 

コメント