自然霊から学んだこと。目に見えない生命と目に付かない生命。自然霊の話05

「自然霊」に興味を持ち、色々と調べたりしましたが結局のところ様々に存在している「自然霊」は一体何をしているのか、何の為に存在しているかは具体的には解りませんでした。
いずれにしても創造主である「神(大霊)」によって何らかの目的があって創造されたことは確かであり、それぞれその何らかの役割を果たして存在しているのだと思うようになりました。
それは虫一匹といえども「神」の生命を宿す存在であるのと同じことだと思います。
普段は意識することもなく誰も気にもかけませんが、
例えば草むらの石の裏をめくればミミズやダンゴ虫、ハサミ虫や蟻などの小さな虫がたくさんいることと思います。
これらの小さな虫たちは何の為に存在し、何をしているのかは具体的には解りませんが、彼らは自然の一部であり自然の大きな動きの中で何らかの役割を果たしながら「神」の一部として機能している貴重な歯車の一つ一つなのだと思います。
虫一匹といえども「神」の生命を生きているのであって、「神」の意思によって創造された言わば神の分身です。
「自然霊」も同じなのだと思います。
「自然霊」もまた神の生命を生きている貴重な存在です。
自然霊は「神」の生命を生きながら神から与えられた何らかの役割を(言わば)彼らが住む高低それぞれの霊的世界において果たしているのだと思います。
高級な自然霊には高級な自然霊の役割があり、低級な自然霊には低級な自然霊の役割があるのだろうと思います。
それがどのような役割を果たしているのか?
その具体的な内容については解りませんが「神」は意味の無い存在を作らないと思います。
例えば草むらの石の裏の蟻やダンゴ虫などの小さな虫の世界は、誰にもほとんど意識されない世界です。
言わば「目に付かない世界」です。
「目に付かない世界」と「目に見えない世界」はよく似ていると思います。
僕は自然霊の存在を知った時は大変驚きましたし、とても「不思議」に思いました。
しかし「目に見えない世界」のことを不思議がるのと同じ「霊的な不思議がり方」で地上の身近な「目に付かない世界」を見なければならない。。。と思うようになりました。
地上の一匹の虫と、霊的世界の虫の自然霊とは「神」が創造したという意味では同じです。
どちらも「神」が創造した「凄さ・偉大さ・トテツもなさ」を内在させているのだと思います。
虫の自然霊を不思議に思っていながら、地上の虫を不思議に思わないのはおかしな話です。
普段は「目に付かない」ような一匹の虫からも本当は「トテツもない」神の計り知れなさを見出すことが出来るのだと思います。
「目に付かない世界」とは実は草むらの石の裏だけではありません。
我々の日常の生活の全て、森羅万象の全てがありふれた「当たり前」というベールに覆われた「目に付かない世界」になっているように思います。
霊的な「目に見えない世界」は、見えているけれど「目に付かない世界」に意識を向けさせるキッカケになると思います。
霊的な現象にはそういう役割もあるのではないか、と。
「自然霊」から学んだことは、日常ありふれた目の前の「目に付かない」些細な現実から「目に見えない神」を見出すことだったのだと思います。

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