電化製品で神の生命を例える。本当に生きているのは「電気」の方。個別の生命は存在しない。

僕らは「神の生命」を生きています。

これをどう説明したら解りやすいかと色々と考えているんですが
今日は電化製品の例で例えてみようと思います。

例えばですね。

PC、エアコン、冷蔵庫、扇風機、テレビ、電子レンジ、等の電化製品は
コンセントにプラグをさしてそこからエネルギーを得て個々の役割を生きることが出来ています。

僕らの個人意識というのは
「自分はPCだ」「自分はエアコンだ」「自分は冷蔵庫だ」的に
個別に自分を捉えているわけです。

「PC」は「PC(自分)」が生きていると思っています。

「エアコン」は「エアコン(自分)」が生きていると思っています。

「冷蔵庫」は「冷蔵庫(自分)」が生きているんだと思っているわけです。

でも本当に生きているのは何でしょうか?

本当に生きているのは「電気」なんです。

「PC」も「エアコン」も「冷蔵庫」も
電気の供給あるがゆえに成り立っているものです。

電気がなかったら電化製品はただのガラクタです。

自分が「PC」であるとか「エアコン」であるとか「冷蔵庫」であるとかとすら思えません。
「シーン」として音無し。そこには何も存在していないのも同じ。

電化製品は「電気」というエネルギーによって活力を与えられて「生きている」わけです。

「神の生命」というのはこの例えでいうところの「電気」のようなものです。

「PC」「エアコン」「冷蔵庫」の個々の電化製品が単独で(電気なしで)生きているわけではありません。

電気が機能した結果として(神の生命が機能した結果として)生きているわけです。

「電気があるから生きている」=「神の生命があるから生きている」

というわけです。

僕らは個別の生命が生きていると思っています。

しかしそれは地上的な物的感覚による錯覚というべきもので
個別の生命というのは実はそもそも存在しません。

存在しているのは「電気」の方です。

「電気」こそが本当の生命です。

「PC」に流れる電気も
「エアコン」に流れる電気も
「冷蔵庫」に流れる電気も
皆同じ電気です。

世界中で使われている様々な電化製品も皆同じ「電気」によって生きています。

この電気に相当するのが、一つの生命である「神の生命」。

僕らの生命は本当は僕らのものではなくて、元々が「神の生命」です。

森羅万象の何もかもが「神の生命」を生きています。

だから死なないのです。死にようがないわけです。

生命には本来「死」はありません。

「生命」は死にようがない。

元々死なないものなんです。

構造的な観点からも「死」はないのです。

この「死なない生命」をどのように生きればよいのか。。。

それを学んでいくのがスピリチュアリズムです。

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